欧州遠征報告

日本陸連走高跳強化スタッフ 福間博樹

 

男子走高跳の強化事業として衛藤昂君、戸邉直人君の両名とともに5月末から3週間、7月初旬から3週間、二度にわたり欧州転戦を行なった。さらに8月のアジア大会、4日後のブリュッセルでのダイアモンドリーグファイナルに出場する戸邉君に同行した。遠征同行は3月末で早期退職した私が吉田孝久オリンピック強化コーチの要請を受けてのことだった。これはその欧州遠征と私の見た世界陸上界の現況報告である。

下表はその海外遠征試合の内容である。

戸邉君がイタリアで2m32を成功させたニュースは関係者の間で話題になったが、堂々たる試合であった。雷雨で試合開始が1時間半も遅れたポーランドで濡れたサーフェスでの2m30、前日まで出場が決まらず行くか行かないかを悩んだチェコの2m25で4位の試合も評価できる(上位3人は17世界陸上メダリスト)。そしてダイアモンドリーグファイナル6位、2m26まで1回目で成功させ、その時点で暫定トップ、その後に5人に逆転されたものの、いずれの試合ぶりも世界の入賞レベルに到達していると感じられた試合であった。一方、衛藤君は昨秋の故障の影響で出遅れたため条件のいい試合に出られなかった上、6月はデンマークとドイツで寒さと雷雨に阻まれ、7月は狙いを定めて調整した試合を3日前にキャンセルされ、次のアイルランドでまたも寒さに阻まれ、暖かいチェコの最後の試合でようやく本来の跳躍が出た。不本意だったと思う。衛藤君が「2m20を跳べなかったのは何年ぶりだかすぐに思い出せない」と漏らした言葉が耳に残る。特徴的なのは、欧州が日本より寒い上に開始時刻が遅く、同時期の日本よりもコンディションそのものが悪い試合が多い点、全助走が取れない競技場が多い点、サーフェスの質にバラツキが多くしかも弾み方が予測できないものがある点などが挙げられ、これらへの対応能力を身に付けることが欧州転戦での課題となるであろう。

 

戸邉君が2m32を跳んだイタリアの話を書いておきたい。競技場のサーフェスは今冬改修予定のスーパーXで反発力不足、かつ助走路が短く初めての6歩助走、実は試合前の戸邉君は少々戦意喪失気味だったのである。さらに言えばモナコDLの出場権獲得のラストチャンスで、好記録を出しアピールすればモナコ出場、凡記録だと出場不可…、という剣ヶ峰に立たされていた。終わってみれば不利な状況を跳ね返して自己新記録、大会新記録で主催者も大喜び、そしてその夜のうちにモナコ出場決定と、ラストチャンスを果敢に掴み取った戸邉君であった。同時に走高跳のように技術要素の高い種目はコーチが帯同することの重要性を強く感じた試合ともなった。

 

アジア大会は悔しいと言う外はない。両名とも好調であっただけに思いはより複雑である。衛藤君は決勝の公式練習で踏切脚の膝内側鵞足部に突発的な痛みと腫れが生じたが本人の強い意思で競技を決断、2m24を3回目で成功した後に棄権した。踏切のタイミングがずれると強く痛み、試技を重ねるごとに悪化していた。その間、戸邉君は順調に2m24までノーミスで成功していた。しかしながら流れ気味の跳躍を修正できず、メダル確定の勝負どころ2m28で高さを出し切れず3回失敗。同記録が5名いたがノーミスが功を奏して戸邉君が銅メダル獲得、衛藤君は試技数差で6位となった。両名のために付け加えておくと、現在のアジアの走高跳のレベルは過去最高で、17ロンドン世界陸上に7人出場、3人決勝進出、2人メダル獲得、今回は怪我で欠場の世界チャンピオンのバルシム(2m43)を除いても、自己最高記録は2m36、33、32、30×3人、29、28×2人、27とハイレベル、その中で戸邉君が3番目、衛藤君は3人同列で4番目であった。その数字と比較すれば銅メダルと6位は両名の実力通りの結果であったとも言えるだろう。付記) 衛藤君の膝は順調に回復中。

 

今冬、陸上界でもワールドランキングが本格運用される。記録点+試合点の上位5試合平均でランク化、2019世界陸上はこの順位で出場が決まる(東京も)。出場枠は種目によって異なるが、多めのトラックに対して、フィールドは32人と少なめ。9月中旬時点で戸邉君が1280点12位、衛藤君1195点28位、戸邉君の12位はスタジアム競技の種目では日本選手の中で最高位(同順位が他に2名)、衛藤君が17番目である(内訳は下表参照)。ちなみに記録のランキングでは戸邉君が2m32で12位、衛藤君が2m28で27位である。

この新制度、実はなかなか厄介である。走高跳では2m30で1179点、1cm約9点、表から分かるが高カテゴリの試合は付加される試合ポイントがかなり大きい。たとえばDL優勝で200点、8位でも100点ある。欧州では今季好調の戸邉君は中〜高カテゴリの試合に出場できたが、衛藤君は中〜低カテゴリの試合しか出場チャンスがなかった。実力を結果で示してはじめて高カテゴリの試合の出場チャンスが回って来る厳しさがある。また試合そのものがトラックフィールドともに少数精鋭方式の一発決勝で行われることが多いため走高跳出場枠は10名前後、そもそも高カテゴリの試合は出場が難しい。実績と好記録を持つ選手が有利である。しかも日本国内に高カテゴリの試合は大阪GGP(優勝140点)と日本選手権(100点)の2つしかなく、他はすべて優勝25点、15点の試合である。では日本としてどうするかだが、国内試合の格付け向上を図るか、高ランクの試合を求めて海外転戦するかとなる。今季、走高跳パートは選手が対応できる方法として海外転戦を選択、なかでも高カテゴリの試合が多い欧州へ行くことにした。この欧州転戦、座して待つよりも自力突破が可能な点で挑み甲斐があるが、行けば稼げるという安易なものでもないことは前述した通りである。現時点で戸邉君、衛藤君は19世界陸上の出場枠内(32位)に入っているが、油断していると足元をすくわれる、要注意である。どうやって高カテゴリの試合に出るか、したたかに戦略を練る必要がある。おそらく世界中の選手、コーチ、関係者が同じことを考えているからである。本格運用される来季、出場枠確保のボーダーラインの点数は間違いなく上がるとみている。

 

正面突破の策はひとつ、シーズン前半から好記録を連発してアピール、高カテゴリの試合の出場権を獲って、そこでこそ好記録を出してポイントを積み上げることである。「言うは易し、行なうは難し」だが、その逆境を乗り越える強靭な精神を練り上げることこそ、東京での活躍の原動力となる。東京2020を目指し活躍を期すなら、突破するしかないであろう。

 

最後になるが、誤解を恐れずに言えばワールドランキング制度がもたらすものは陸上競技のグローバル化である。日本の陸上競技はいい意味でも悪い意味でも、独自かつ高度に発展してきた。私自身は日本の陸上競技を高く評価しているが、日本式でいいじゃないかとばかり言ってはいられなくなりそうである。長期的な影響面では、有望選手が若いうちから海外を主戦場とし世界のトップに成長して活躍する可能性が高まる。ただ日本人的な美徳が失われるリスクも高まり、ドーピング問題はその最たるものになりそうである。短期的にみると東京オリンピック直前の日本陸上界にとって不利となるであろう。

世界の陸上競技は欧州を中心に動いている。国際陸連(IAAF)の本部はモナコ(南仏)にあり、その最高レベルのダイアモンドリーグはシリーズ14試合中11試合を欧州で開催し、ファイナルはスイスZürich、ベルギーBruxellesと決まっている。その他にもヨーロッパ陸連が主催する優勝60点、40点クラスの試合がある。EU結成以来、国境感覚が薄れた欧州勢は欧州転戦がすでに当たり前である。しかも欧州は日本人が思う以上に小さく、沖縄をスペイン南端に持ってくると北海道の稚内は北欧スウェーデンに到達する。つまり移動は大きな負担にならない。高カテゴリの試合が多く開催され、移動が日本国内並みとなると、明らかに欧州が有利、他の地域は不利となる。米国ですら全米選手権後(6月下旬)に上位陣が渡欧、コーチもトレーナーも帯同するナショナルチーム態勢でDLを中心に欧州を転戦しており、ポイント獲得の面では問題がない。つまり今まで通りの欧州勢や対応システムを持つ米国に対し、わが国は地元オリンピック直前に強化戦略の再検討を迫られているのである。これが私が不利と考える理由である。

モナコDLの試合で戸邉君が2m27で4位と健闘して終えた後、ホテルに帰って夕食をともにしていると彼がこう話した。「DLのような世界の陸上界の最高レベルの試合に日本人がいないんです。まず選手がいないのが一番ですがそれ以外の関係者もカメラマンの望月さんを除いてほぼいないんです。」つまり出場選手だけでなく、視察に来るコーチ、トレーナー、テレビ局などマスコミ関係者などもほぼいないのが現状なのである。われわれが気がついていないだけでいらっしゃるのかもしれないが選手のサポート体制に繋がるかという意味ではいないに等しい。実際モナコのW-up場では米国がトレーナーベンチを5つ並べたナショナルチーム態勢を敷くすぐ脇で、戸邉君が1人でアップしている構図を目の当たりにした。戸邉君はすでにそこに適応しているが、これから挑む選手コーチには明らかなハンディがある。和を大切にし、集団になると大きな力を発揮する特性を持つ日本人には、米国方式が向いていると私自身は考えるが強化費の壁がある。種目ごとの小単位でも何でもいい、いずれにせよ欧州中心で動く世界の陸上競技界の流れに適応する必要性を感じている。

 

ある意味、わが国陸上界が孤高を貫くか、グローバル化の軍門に下るかの岐路に立たされたと言ってもいい。選手の活躍を期待するなら下ってでも適応するしかない。まずは適応して結果を出し、世界における日本陸上の地位を固め、そこから世界を日本化していくこと、これが長期的なビジョンとなろう。米国野球界に大きな影響を与えたイチローしかり、テニスの錦織圭しかり、サッカー界でも選手の活躍と品行方正なサポーターが好影響を与え始めている。陸上界が描くビジョンはそれと同じでいいと私は感じている。将来、日本陸上が世界で確固たる地位を築く時が来たならば、世界が日本を見習いドーピングが無くなっていくことを私は期待している。

現在、日本陸連専務理事尾縣貢氏、強化委員長麻場一徳氏、長距離マラソンディレクター河野匡氏、U20ヘッドコーチ杉井將彦氏ら、他にも多勢いるが、ざっと挙げるだけで強化に直結する部門のリーダーに茗溪の仲間の名が挙がる。彼らがリーダーとしてブレーンとして日本陸上界へ果たす役割は大きい。彼らを含めた茗溪の仲間、さらには学閥の垣根を越えた日本陸上界の関係者の力を結集し、逆境を跳ね返し、2020東京オリンピックの陸上競技を成功に導くことを強く願ってやまない。

 

デンマークで他の選手コーチと(福間 撮影)

衛藤君  ドイツ 2位(福間 撮影)

 

戸邉君  イタリア  試合前インタビュー(福間 撮影)

 

戸邉君  イタリア 2m32(写真 Paolo Sant 氏)

 

戸邉君  ブリュッセル  試合前(福間 撮影)

 

戸邉君  ポーランド 2m30