田中宏暁さん(1970年卒)との思いで

田中 宏暁氏(たなか・ひろあき=福岡大名誉教授)4月23日死去、70歳。

喪主は妻、浩子さん。告別式は近親者で行いました。

会員らから寄せられた惜しむ声

ヘッケルさん死去

1971年卒  小原 繁(徳島)

 

田中宏暁先生と言うよりヘッケルさんですが、 4月23日(月)の夕方に、すい臓がんのために亡くなりました。

昨年の10月から腹部の痛みがあったそうですが、検査をした1月末にすい臓がんという診断でした。

すでに転移もあり末期に近い状態だったそうです。僕も仕事のことで2月上旬にヘッケルさんの携帯に電話したら、突然「俺さ~、すい臓がんが見つかったよ。でも覚悟を決めたからこれからは楽しく過ごすことにした」と言いました。

 

2月15日に夫婦でお見舞いに福岡へ行ったときは元気でした。

3月24日には福岡大学の退職記念の最終講義と夜にパーティーがありました。

参加者は最終的には400人ほどになり盛会のうちにパーティーは終わりましたが、この時に本人も自分はすい臓がんにかかっているということを報告していました。

 

2月下旬からは快適な生活をしようとお家のリフォームも始まり、そしてスポーツカーでドライブをしたいということで、マツダのロードスターを購入し、これに2回乗車できたそうです。

火葬場へ向かう時もこのロードスターは後ろからついていきました。

 

お通夜、告別式を終えて徳島へ帰ってきて、寝ようかと思った時に、船原さんのメールにヘッケルさんのことが流れていないことに気付きました。皆さんには遅い連絡になりました。

家族葬として少人数でお葬式をしたいという希望もあり、連絡範囲を狭めたようです。

スロージョギング協会は金曜日と土曜日に献花台を設けて、ジョギング仲間とのお別れの場を市内の天神にある事務所に作っています。

 

スロージョギング協会のホームページ

http://slowjogging.org/5044

http://slowjogging.org/5047

 

すい臓がんが見つかってから、ヘッケルさんと浩子夫人は、長男のやす君がヤフードームの近くにある自分のマンションに呼び寄せて面倒をみていました。

浩子さんは今もそこで生活していますので、油山の自宅の電話は留守電になっておりコンタクトは取れません。

スロージョギング協会は、全国にいるスロージョギング愛好者のグループに呼び掛けて、代表者100人程度のお別れの会を企画しようと考えています。

この計画がはっきりしましたら、改めて皆様にも連絡したいと思います。

あまりにも急な展開で今でも僕には戸惑いが残っています。

ヘッケルさんとの思い出のある方はたくさんいると思います。

それを思い出しながら個人的にヘッケルさんとお別れをお願いします。

 

田中宏暁さん(1970年卒)死去

1974年卒  船原 勝英(神奈川)

 

この3月に福岡大学を退官した田中宏暁さんが4月23日夕、膵臓癌のため死去されました。

昨秋から背中や腹部の痛みがあって1月に検査した時には、末期的な症状と判明。

3月末の最終講義とパーティーで自らの病状を公表したため、出席者に衝撃を与えました。

 

このことを知らないまま13日に電話したところ、「おれ、すい臓癌なんだ」と告げられて驚きました。

自宅療養から16日に再入院となり、そこからわずか1週間での悲報でした。

 

これまで、妻の浩子さん(1970年卒)らご家族の意向で公表を控えていましたが、昨日に告別式を済ませたことで、このメールでの報告も了承していただきました。

このあたりのいきさつは、添付した小原繁さん(1971年卒)の報告に譲ります。

 

都立駒場高校出身の田中さんは1966年に東京教育大学体育学部へ入学。

箱根駅伝を目指しましたが、心臓疾患のため競技を諦めなくてはならなかった。

後に疾患は「誤診」と判明しますが、卒業後は福岡大学の運動生理学教室で主に肥満・動脈硬化などの生活習慣病の治療と予防、健康増進・競技力向上の運動処方に関する研究を続け、ゆっくりとした「ニコニコペース」でも効果がある「スロージョギング」を提唱。

健康ブームの中、NHKの「ためしてガッテン」や民放の「世界一受けたい授業」に登場したりとさまざまなメディアから引っ張りだこでした。

医学、体育など国内外の学会での研究発表、講演も多数行ってきました。

 

スロージョギングは手軽で無理なく健康増進や競技力向上が図れるツールとして世界から注目が集まっています。

ポーランド、ドイツ、韓国でもスロージョギング協会が設立され、欧米やアジアから広く講演やクリニックの依頼が届いていました。

心臓手術後の天皇陛下が美智子さまと皇居内でスロージョギングをしている姿が公表されて話題になったことがありましたが、心臓に持病があっても安心なトレーニングとして認知されている証拠です。

 

船原は広告代理店出身の仲間や、長く子供のスプリント研究と指導を続けている元静岡大学教授の伊藤宏さんらで構成した「NPO法人かけっこ未来塾」を立ち上げ、田中さんにはアドバイザーになってもらい、スロージョギングの教え子たちを講師に送り込んでもらいました。

2016年の群馬・川場村でのスロージョギング教室へは船原もサポート要員で同行し、夜は白沢高原温泉につかり、翌日は初穂CCでゴルフという「黄金コース」でした。

 

田中さんの日常は信じられないほどの過密スケジュールでした。学務のほかに国内外の学会・講演や各地でのスロージョギング教室を飛び回る毎日。

最近はゴルフを始めたことでラウンドも目いっぱい入っていました。

何度かご一緒しましたが、打った後はクラブを持ったままコースを走り続ける田中流。

千葉の市原で講演とラウンドに招待された際も、コースへゴルフバッグを担いで現れました。

聞けば前日も福岡でラウンドしていたとか。

終了後もバッグを担いでいるのでおや?と思ったら、翌日もゴルフと分かって驚くやらあきれるやら。

生涯初のバーディーはスコットランドの名門セントアンドルーズで、学会滞在中だったテキサスではゴルフレッスンに通ったというから二度びっくりでした。

 

講演にしても実地指導にしても、サービス精神旺盛な田中さんは常に可能な限りリクエストに応じる姿勢でした。

スケジュール管理は得意種目ではなく、ダブルブッキングも日常茶飯事?

あるとき福岡でご馳走してもらえるということでしたが、店の前で大学から「KBCテレビの方がお待ちです」と連絡が入りました。

食事はお預けだなと覚悟しましたが、先生の答えは「次に埋め合わせするから、勘弁してもらってくれ」でした。

おいしいお寿司をご馳走になりましたが、過密日程の一端を垣間見ることになりました。

 

その後もNPO活動で打ち合わせする機会がありましたが、あまりの過密日程に「各地の指導は教え子に任せて、先生はスロージョギングの将来についてじっくり構想を練ってください」と生意気なことも言いました。どう考えてもオーバーワークでした。

秋田の国際教養大で英語でスポーツ生理学の講義を引き受けた際は毎週、福岡と秋田(羽田経由)を日帰りで通ったそうです。

「学生の方が英語は上手だから、おかげで英語が苦にならなくなったよ」と話していましたが、ただでさえ多忙な生活で英語の講義となれば準備も大変だったはず。そのバイタリティには舌を巻きました。

 

健康長寿に大きく寄与できる「スロージョギング」の提唱者が、日常的には正反対の「超過密生活」で、急ぎ足で彼岸に旅立ったのは皮肉なことです。

田中さんにはご自分も健康長寿を実践していただき、団塊世代のトップランナーとして元気に走り続けてほしかった。

海外でのスロージョギングへの関心がますます高まっている中、運動強度を測る心音測定器の改造モデルが5月末に完成する見通しで、長年の研究成果が大きな果実として実りの時を迎えているところでした。

退官して時間の余裕も生まれ、さあこれからという節目での悲運でした。

悲しく悔しい思いしかないですが、浩子夫人の「一番悔しいのは本人よ」の言葉が胸に刺さります。

心からご冥福を祈りします。

 

「お別れの会」は5月27日、全国の愛好者が午前9時一斉にスロージョギングをして故人を偲び、福岡ではこの後にゆかりの深い人が集まって語り合うそうです。