12年ぶりに桐の葉が箱根路を駆け抜けた!

2年生の相馬が山登りで区間13位と好走

第95回箱根駅伝第1日の往路は2日、大手町から箱根・芦ノ湖までの5区間107.5kmで行われ、

東洋大が5時26分31秒の往路新記録で2年連続優勝。東海大が1分14秒差の2位、3位には

2分44差で国学院大が入りました。5連覇を目指す青学大は5分30秒差の6位と大きく出遅れました。

 

関東学生連合の5区に起用された筑波大2年の相馬崇史(佐久長聖高)は区間13位相当(オープン参加のため参考記録)の1時間14分45秒をマーク、直前の故障辞退で悔しい思いをした昨年のうっぷんを晴らす好走でした。

 

船原はOB・OG会の幹事長として、宮下憲会長にお伴してゴールで相馬選手を迎えました。宮下会長と同級生で、箱根を4回走った岡田(松永)一彦さんと8時にJR藤沢駅で落ち合いました。久々に会った岡田さんは「この時間になると血が騒ぐ」と入れ込んでいました。半世紀前のことながら、8時スタートの1区を3度経験している「駅伝男」は、完全に実戦モードです。

 

ピックアップしてもらった宮下さんの車で箱根を目指します。波静かな湘南の海を左手に見ながら箱根新道に入り、すいすい走ってちょうど1時間で芦ノ湖へ到着。ゴール付近は場所取りの準備が出来上がっていて、大画面テレビの前も座る場所がありません。やむなく、湖面寄りの歩道上に宮下さん持参の折りたたみ椅子を広げて腰を下ろし、選手たちの到着を待ちました。

 

徐々に人並みが膨らんできたころ、スタートのピストルを撃った関東学連の有吉正博会長が到着。宮下さん、岡田さんの同級生、有吉会長も箱根出場4回のスペシャリストでした。ご家族も合流しており、お孫さんと一緒に記念撮影。岡田さんのカメラで、近くの人にシャッター押しをお願いしたのが、なんと箱根のレジェンド、横溝三郎さん(中大OB:現東京国際大総監督)。気軽に頼んだ岡田さんが恐縮していました。

有吉会長のお孫さんを交えて(撮影はレジェンド横溝さん)

 

そのころ、小田原中継所では神奈川県の茗渓会メンバーが中心になり、この日のために新調してくれた10本の桐の葉の幟を立てて相馬選手の到着を待っていました。神奈川県の陸上部OB代表で高橋悟さん(73年卒)筑波1期生の森二郎さん、室橋富美夫さんが加わり、幟を見て集まってくれた若い筑波の卒業生ら10数名で、わずかの差で繰り上げスタートとなった相馬選手に声援を送りました。

小田原の中継点に茗渓会メンバーが結集

 

以下は神奈川茗渓会の大石進さん(城山高校長)のリポート。

本日、応援して参りました。陸上部OBでは、高橋悟、森二郎、室橋富美夫の3人の先輩が来られました。全部で15名ほど、鈴廣から箱根寄り約200メートルのところで応援しました。鈴廣の前は、中継所のそばで、大学名ののぼりや掲示はできないということで、移動しました。人も凄かったです(((^_^;)

相馬選手は、あっという間に走って行きました。我々の声が届いたかはわかりません(笑)。

通過後、沿道でOB一同、桐の葉を歌い、エールを送りました。

いつかチームで出場してくれることを夢見て、これからも応援し続けます。

今回は、色々とご助言をいただきありがとうございましたm(_ _)m。

 

そこから4kmあまりの地点では、2人のOBが相馬選手を待ち受けていました。筑波1期生の高野淳一さんと、シード常連だった1980年代に4回箱根を走っている合田浩さん。昨年は相馬選手が出場を辞退しましたが、それでも5区の「下見」をしていた2人でした。

 

以下は「合田リポート」です。

相馬君、応援の皆様、お疲れ様でした。

12年ぶりの出場で柄にもなく眠れない夜を過ごし、田町(1区5km)の駅前で1期生の高野さんと合流。

田町と鶴見(2区1km)で観戦した後に新宿からロマンスカーで箱根湯本へ移動。そこから徒歩で塔ノ沢まで移動して見晴らしのいい場所を見つけて相馬君を待ちました。風祭中継所から4.2kmくらいでしょうか。

 

先頭の東洋大は慎重に登っていきます。1分以上遅れて通過した東海大、國學院大はとばしていきました。

他のチームも続々と通過していきます。「どうなっているんだ?」と二人で待ち続けます。

 

山間部に入ったため、高野さんの携帯はワンセグの電波を受信しなくなり、私のiPhoneにはテレビがついていません。それならネット配信の中継を見るか、ラジオを聞けばいいのに、アナログ人間の2人はその程度のことも思いつかないのです。

 

しばらくののち、前を行く上武大に遅れること1分27秒、相馬君は我々2人の前を駆け抜けて行きました。僅か20秒あまりではありましたが、母校桐の葉が箱根路を走るのをこの目で確認できました。

小田原中継所から4km過ぎの地点を力走する相馬選手

 

そこから我々は小田原まで戻って食堂でネット配信の中継を観戦。これまで何度か彼のレースを見てきましたが、レース後に倒れるのは初めてです。本当にお疲れ様でした。

 

チームの皆さんは、これを踏み台にして、春と秋のインカレでの入賞、チームでの箱根駅伝本戦出場を目指してください。

 

東洋大がトップで入り、インタビューから表彰とセレモニーが続き、有吉会長の出番です。それと前後して関東学連チームの相馬選手がフィニッシュ。力を出し切って倒れ込む姿を岡田さんが撮影しました。合田リポートにあるように、相馬選手としては珍しいシーン。改めて山登りの厳しさを感じさせられました。

芦ノ湖のゴールテープを切る相馬選手

ゴール後に倒れ込む相馬選手

往路優勝のトロフィーを手渡す有吉会長

 

フィニッシュ後の相馬選手は、色白の肌からさらに血の気が引いた感じ。疲労の色が濃かったのですが、元気に対応してくれました。160cm、46kgの細身の体。山登りが得意なタイプですが、弘山勉監督によるとこの日は登りで精彩を欠いた。最高点の手前、15km過ぎで弘山監督が手渡しで給水。そこで気合いを入れてほしいと相馬選手が自ら希望したのだそうです。

 

登り切ってからの下りでギアが入った。「脚がちぎれそうな感じだった」(相馬)。しっかり前傾を保ってスピードを上げ、そこまでの遅れを一気に取り戻した。ゴール後に倒れ込んだのは、ラスト数㌔で力を振り絞った結果だったのでしょう。「来年は(チームで)出たい)と力強く語りました。

 

交通渋滞でゴールへの到着が遅れた弘山監督とは会えないままでしたが、この日の相馬選手の走りを監督は合格点としていました。「まじめでせっかち。抜くところを抜けない」性格もあり、12月には脚の故障が出て調整に苦しんだ時期もあったといいます。

 

それでも堂々の13位で難コースを走破。学連チームの各区間順位が21位、21位、20位、21位と低迷しただけに、存在感が際立ちました。昨年はオーバーワークから故障を起こして出場辞退に追い込まれましたが、今年以上にしっかりトレーニングができていたので「区間5位以内には入れる状態だった」(弘山監督)そうです。

実力は折り紙付き。まず疲労を完全に抜き、リフレッシュしてから新シーズンを迎えてほしいものです。

 

かくして、12年ぶりに桐の葉が箱根を走った記念すべき1日は終わりました。2011年にスタートした「箱根復活プロジェクト」ですが、やはり実際に選手が桐の葉を付けて走ったインパクトは限りなく大きかったと言うのが結論です。

 

これを機会に、箱根を目指す選手たちと弘山監督、スタッフへの一層のご支援をお願いします。そして、奮闘した相馬選手とスタッフへお年玉(支援金)をあげてもらえれば、うれしい限りです。

箱根4回の大先輩に挟まれた相馬選手