古城健さん(1984年卒)との思い出

投てきから混成転向で日本新 大きく強靭だった古城さん

鈴木 一弘(1985年卒)

 筑波大学7期生(1984年卒)で十種競技の元日本記録保持者、古城健さんが8月17日、長い闘病の末にお亡くなりになりました。享年63歳、何とも早すぎるご逝去でした。

大阪・寝屋川高校出身、入学当時は円盤投が専門で投てきブロック所属。185cm、83kgという恵まれた体格とパワーの持ち主で、早くから混成競技での活躍が期待されていました。2年生の途中から満を持して混成ブロックへ。走種目・跳躍種目を得意とする者が多い混成競技にあって、投てき種目からの転向という稀なケースでした。海外勢では圧倒的なパワーを持つ投てきも得意な選手が多く、得点パターンからすると「走れる投てき選手」が有利という研究文献もある。古城さんは、まさに優秀な混成競技選手となる素養があったといえるでしょう。

開花したのは大学4年シーズン。1983年9月に岐阜県営陸上競技場で開催された日本選手権で、従来の記録を22点更新する7460点の日本記録を樹立します。翌月に国立競技場で開催された日本インカレでは、初めて7500点を突破する7501点をマーク。84年ロサンゼルス五輪の参加標準記録突破こそできませんでしたが、85年神戸ユニバーシアード、86年ソウルアジア大会(銀メダル)代表で活躍しました。

帰郷されてからは高校教員として選手育成に尽力、国体の監督・コーチとして大阪の優勝に貢献されました。大阪府高体連陸上競技専門部の専門委員長としての貢献も大きく、次の大阪陸上競技協会の専務理事としても嘱望されていました。そんな順風満帆な中で病に襲われたのは痛恨事でした。今年2月3日、日本選手権室内競技(大阪)の際の会食が最期となってしまいました。その折も、度重なる手術・治療の後にも関わらず、他人事のように病魔との戦いを話していたのが印象的で、メンタルの強靱さに頭が下がりました。

私もこの夏、東京2020オリパラの専従期間に悪化した体を治療したばかり。助かった命で、先輩の分までもう少し陸上競技に恩返しできればと願っています。 合掌。