学者で僧侶で音楽好き ユニークな一面もあった父(市村操一)

長女 市村まや

このたび、父・市村操一が1月15日に永眠いたしました。生前、大学時代を共に過ごしていただいたみなさま、お仕事関係でお世話になったみなさまには、ひとかたならぬご厚情を賜り、家族として心より御礼申し上げます。

父は昭和1939年水戸に生まれ、茨城県立水戸第一高校から東京教育大学、同大学院へ進学しました。1965年にフルブライト奨学生(Psychology General専攻)としてイリノイ大学に留学したときは、「大学のオーケストラに入れてもらいたくて、オーボエの課題曲を一生懸命練習した」と言っていました。クラシック音楽が好きで、晩年も音楽祭を聴きにヨーロッパに出かけたり、足しげくNHK交響楽団の定期演奏会に通ったりしていました。筑波大学で教授職を退き、2001年からは東京成徳大学でお世話になり2013年に退職。その後も研究を重ね86歳の生涯を閉じました。

父は大学生のときに、父の祖父が住職を務めていた東京・世田谷区の寺院「吉祥院」に暮らし始め、学生の間に、真言宗智山派総本山智積院(京都)で修行して住職になったと聞いています。母とはお見合い結婚で、母の妹である竹田真実(女子走高跳で1966年バンコク・アジア大会、67年ユニバーシアード東京大会優勝)が、陸上関係での縁を結んだようです。大学の教員と住職の二足の草鞋で、筑波と東京を往復する生活でした。京都から嫁いだ母との間には4人の子どもが生まれ、父はわたしたちの勉強をみてくれました。当時は東京と筑波との交通網も不便で、いま振り返ると、寺院で住職として経を唱え、筑波で教壇に立ち、ゴルフの本をはじめとした書籍の執筆、テレビ番組への出演など、実にエネルギッシュな父親だったと思います。

父はユニークな一面もあり、こんな話を覚えています。マーチという小さなクルマの後部座席に、鍬やザルを積んで筑波大学まで出勤し、どこかで花でも植えていたのでしょう。「大学の関係者から用務員さんに間違えられちゃったよ」と笑っていました。また、ドイツの大学まで講義に行こうとして「間に合わない」と成田までタクシーを飛ばしたら、出発はその翌日だった。荷物を持って帰ってきたので、「なぜ荷物を預けなかったの?」と聞いたら、「600円かかる」と言っていました。父のことを母は“宇宙人”と呼んでいました。

市村さん父と娘

2025年の12月、幾人かの知り合いに電話やメールで、がんの末期症状であり、もう会うことはできない旨の報告と感謝の気持ちを伝えていました。葬儀は家族葬で見送り、母の眠る麻布山善福寺(東京都港区元麻布)で泉下の客となりました。

父との日々が次から次へと浮かんでくる日々です。気持ちの整理に時間がかかり、みなさにお伝えするのも遅くなってしまいました。みなさまには本当にお世話になり、ありがとうございました。