陸上競技のルーツをさぐる2

社会の進歩が学校での「陸上競技大会」の運営に与えた影響

18世紀半ばの英国における「産業革命」の進行によって、都市間をつなぐ道路の舗装・整備が飛躍的に進み、鉄道網も全土に整備されるなど、交通や郵便制度も完備され、電信・電話などの通信手段も普及・発展しました。

これらの社会の進歩は、今まで学校・大学間で連絡を取りながら日程や各種の取り決めを行ってきた各種スポーツの「ルール」作りに大きな影響を与え始めました。

これこそまさに「近代陸上競技大会」が誕生する条件が揃った瞬間でした。

こうした中で最も有名な出来事は、1864年3月5日(土)にオックスフォードのクライスト・チャーチのグランドで開かれた「オックスフォード大学対ケンブリッジ大学」<以後、「オ大」・「ケ大」と略記します>の対校戦です。

この対校戦が行われたのは、100ヤード競走など8種目でしたが、この時に決められた120ヤード・ハードル、走幅跳、走高跳などの競技の方法やルールは、今日、私たちが世界中の陸上競技大会で目にし、行っている内容とほとんど同じですし、この対校戦形式の大会は各種の球技やボート・レースなどとともに140年以上を経て今も営々と続けられています。

さらに、こうした試合を経験したエリートの諸学校を卒業した生徒や学生が、その後、英国の政財界、官界を動かす中枢の人材となっていきましたが、学生時代にスポーツを通じて経験した様々な効用が忘れられず、卒業後も仲間を募って自ら「クラブ」を作り、1866年にはクラブが主催する「アマチュア」の大会を運営・開催しはじめました。

この時期は、日本の幕末期にあたります。

アマ選手とプロ選手の大会

これらの大会は、プロ・アマを問わず殆どがクリケット場やサッカー場、競馬場などを借りて開催していました。

しかし、1860年代になってアマ選手が行う陸上競技に人気が出て盛んにおこなわれる様になると、いつも「勝つ者が決まっている」プロの試合よりも、「誰が勝つかわからない」アマの大会の方に人気が集まり、次第に多くの観客を集めて大会を開く様になりました。

また、後日、アマの試合の優勝者や入賞者を称えて高価な純銀製のカップやメダルなどの賞品が主催者から渡される様になっていきました。

70年代に入ると、プロ選手たちはプロとして賞金を手にするよりもアマ選手に紛れて試合に出場して勝利して賞品を貰い、その足で銀細工師の店に持っていって現金に換える者が出てきました。

この方がよりお金が儲かったからでした。

こうしたことから、次第にプロ選手による競走は廃れていきました。

その後、より盛んになったアマの陸上競技は、自分たちがいつも練習し、競技会の出来る独自の「ホーム・グランド」が欲しくなり、クラブの会員のなかの貴族や大地主、大金持から寄付や資金を集めて、「陸上競技専用競技場」や「クラブ・ハウス」をもつ様になっていったのです。

陸上競技専用競技場の出現と陸上競技の全国組織の成立

クリケット場などの仮住まいをしてきたアマの陸上競技愛好家にとって専用競技場をもつ事は、数年来の夢でした。1868年になって、「アマチュア陸上競技クラブ(AAC)」はクラブ会員から資金を集めてロンドン郊外のリリーブリッジに専用競技場を誕生させました。

しかしこの「AAC」の会員資格は、「オ大」や「ケ大」などのエリートの大学の卒業生にしか与えられず、厳格に「アマチュア規定」を守る人たちに限られていましたので、当時、まだ各地にいる賞金稼ぎをするプロ走者や頑強な身体を使って仕事をする労働者や勤労者の人びととは、共に競技はせず、自分たちの殻に閉じこもっていましたので、次第に一般市民からの支持はなくなり、この競技場は、「両大学対校戦」と「クラブ対抗選手権」以外には使われなくなっていきました。

これに対して様々な市民層を入会させていた「ロンドン陸上競技クラブ(LAC)」は、大会を観戦する人びとから「入場料(観覧料)」を取るかどうかを巡って「AAC」と反目する様になり、独自で組織力をつけて、1877年4月28日には、スタンフォード・ブリッジに立派な観覧席のついた競技場を完成させました。

「AAC」と「LAC」はその後も会員の資格や自らの主催する競技会の参加資格を巡って、何かと反目し合いましたので、OBの識者たちが仲介を取って1880年4月24日、オックスフォードの街にあるランドルフ・ホテルに全国の各地域の陸上競技協会やロンドンの主要な陸上競技クラブの代表者を集めて会議を開き、英国全体の陸上競技を統括する「アマチュア競技連盟(AAA)」という組織を結成し、選手権大会を主催する事にしました。この組織は、140年近く経った今日も営々と引き継がれています。

(以下次号)

 

写真図版の説明と出典

①「1877年設立のスタンフォード・ブリッジ競技場」

(『The Official Centenary History of The AAA(英国陸連設立100周年記念誌)』(1979)

P.Lovesey篇 p26 (Guinness Superlative Ltd.)

②同上 p27

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岡尾 惠市

岡尾 惠市

1960年度卒 立命館大学名誉教授
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